円こどもステージ

年の暮れの児童劇

岡田 陽(玉川大学教授)

 
円の児童劇の十年をひと口で評価すると、
児童劇というものが演劇のひとつのジャンルとして存在することを
立派に実証して見せてくれたと言うことである。
 
こどもに媚びへつらわず、こどもを見下さず、
いい児童劇とはいい演劇のことなんだということを、
はっきり示してくれた。
 
別役、谷川など現代一流作家の新鮮で説得力のある脚本。
亡くなった中村伸郎さんを はじめ、しっかり芯になって
楽しませてくれたベテラン俳優。
そして持ち味を引き出してもらって飛躍していった若い諸君。
小森昭宏さんの あたたかい音楽。
そして児童劇上演の空間として理想的な親しみのある
小さな稽古場劇場。
そしてもうひとつ是非とも付け加えておきたいのは、
満席の 開演前、こども達を見る見るうちに前の席に
うまく詰め込んでしまう 魔術のような場内整理など、
こんないくつかの要因をうまくブレンドして、
小森美巳 さんは一級品の児童劇を創り続けてくれた。
 
そして更にその奥に、企画の魔法使い岸田今日子さん
が呪文を唱えつつ艶然と 微笑む姿があるのだが、
「帽子やさんのお茶の会」で児童福祉文化賞を受け
副賞三十万円を手にした時
「これで稽古場の階段がなおせるわ!」と喜ばれたという
涙ぐましい魔法使いではある。
 
さて、今回の「美女と野獣」は、円としては初演だが、
その有史以前の原点 として、今回とほとんど変わらぬスタッフで
三百人劇場にて上演され、 その緻密で重厚な舞台は忘れ得ぬところである。
 
その後私は全米児童演劇会議(ACTA)の席上、
同じ戯曲によるアメリカ版の 上演も見たことがあるのだが、
日本の方がはるかに上等な出来であると思った。
雑誌「子どもの館」に最初発表されたこの戯曲翻訳は、
当時衝撃的な反響を呼んだものだが、20年後の今日読んでみても、
おそらく色あせて見えること はあるまい。
 
円の児童劇十回記念として「美女と野獣」は、誠にぴったりの
切り札でありよくもまあ今日まで後生大事にしまいこんで
おいたものだと感心する。
 
私見だが、円の児童劇を見ていると大正期、
小山内薫や久保田万太郎などによる
日本の児童劇運動黎明期のことを思いおこす。
 
それは当時、一流の演劇人の側からの大正芸術運動のひとつ
であり 「そら豆の煮えるまで」など今でも立派に通用する
優れた作品がある。
近年日本の児童劇は、より児童の側に立ってその独自性を追求すること
に熱心である。それはそれとして立派なことなのだが、
演劇としての高さと いうことになるといささか疑念がのこる。
 
その点、円の児童劇のもつ方向性は、 今や貴重なものといえる。
西新宿の小さなステージから御苑前のいい雰囲気の劇場へ移ってから、
円の児童劇は少し落ちつきすぎているようにお見受けする。
 
十作目記念の「美女と野獣」をバネにして、是非また終演後、
夜の新宿を 白い息を吐きつつさまよい歩かせてしまうような
インパクトのある児童劇を私は心から期待している。
 
−1991年、美女と野獣・公演パンフレットより−
 

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